親父の涙。
孫への照れくささ。
父としての誇り。
老後のいきがい。
すべてがお父さんであるように
すべてが男である。
そうして家族の思いが引き継がれる。
孫への照れくささ。
父としての誇り。
老後のいきがい。
すべてがお父さんであるように
すべてが男である。
そうして家族の思いが引き継がれる。
focus on Mr. Azuma prof.
2009年10月24日 言葉のラビリンス東 浩紀教授
昨日、寝る前に
「朝まで生テレビ」があった。
若者VS年寄り だったかな?
まぁ、テーマはなんでもよくて、また自分のリスクを負わず
適当にしゃべっているんだろうなって
流しながら聞いていたら、
ひときわトーンが違うというか、カラーが明らかに違う人がいた。
東 浩紀教授だ。
今まで、ゆっくりな時間を過ごしてた老人たちが
とたんに「やっときたぜ、獲物が」ってばかりに
彼の発言に食いつく。
だが、彼のほうが上手だった。
どんなに論理のすり替え、テーマの無茶振りに対しても
ほどよく対応し、すべてをAZUMA-timeにしてしまった。
お見事だった。
ということで、東 浩紀教授のblogをみつけたので、はっつけておきます。
評論家にshては、久々にHITである。
http://d.hatena.ne.jp/hazuma/
昨日、寝る前に
「朝まで生テレビ」があった。
若者VS年寄り だったかな?
まぁ、テーマはなんでもよくて、また自分のリスクを負わず
適当にしゃべっているんだろうなって
流しながら聞いていたら、
ひときわトーンが違うというか、カラーが明らかに違う人がいた。
東 浩紀教授だ。
今まで、ゆっくりな時間を過ごしてた老人たちが
とたんに「やっときたぜ、獲物が」ってばかりに
彼の発言に食いつく。
だが、彼のほうが上手だった。
どんなに論理のすり替え、テーマの無茶振りに対しても
ほどよく対応し、すべてをAZUMA-timeにしてしまった。
お見事だった。
ということで、東 浩紀教授のblogをみつけたので、はっつけておきます。
評論家にshては、久々にHITである。
http://d.hatena.ne.jp/hazuma/
含んだ重みは表面張力ではなかった
2009年6月7日 言葉のラビリンス最近、お父さんと仲が悪い。
といっても、メールのやりとりでしかないので、お父さんがどう思っているのかわからんが。
還暦むかえてから、PCからのメールに取り組みはじめ、最初は一言二言しかかけなかったけど、最近は文章がかけるようになってきた。
だが、
PCとかメールがもつ機械的な感覚が取り残されているような所があり、アンニュイな表現が多い。言葉で伝わることと、メールとして伝わることの差を意識してないため、最初は違うんだと伝えていたんだけど、カチンとくるようなことを書かれ、ついつい大人気ないことをしたかもしれない。
わかってるって、といってもまだまだ表現には改善が必要。
ナビゲートしてあげないとな。
といっても、メールのやりとりでしかないので、お父さんがどう思っているのかわからんが。
還暦むかえてから、PCからのメールに取り組みはじめ、最初は一言二言しかかけなかったけど、最近は文章がかけるようになってきた。
だが、
PCとかメールがもつ機械的な感覚が取り残されているような所があり、アンニュイな表現が多い。言葉で伝わることと、メールとして伝わることの差を意識してないため、最初は違うんだと伝えていたんだけど、カチンとくるようなことを書かれ、ついつい大人気ないことをしたかもしれない。
わかってるって、といってもまだまだ表現には改善が必要。
ナビゲートしてあげないとな。
弱いイシが甘いんだって。
2007年1月20日 言葉のラビリンスそうね、
不二家について書くか。
あれね。
ずっと前からあったんだって。
だろうね。
これってさ、食中毒は問題なんだよ。
でもさ、賞味期限って微妙じゃね?
夏の牛乳。
1日経つと、多分捨てる。
冬の牛乳。
3日経つと、多分捨てる。
夏の納豆。
3日経つと、多分捨てる。
冬の納豆。
1週間経つと、多分捨てる。
おいしそうなケーキ。
食べ損ねても、2日くらいなら、とりあえず口につけてみる。
おいしそうな牛肉。
狂牛病発覚後の肉なら、喜んで買う。
あるあるで話題になった嫌いな食べ物。
喜んで、口にする。
ってな感じでさ
尺度なんてこんなもん。
自分で納得して決めて判断するから。
賞味期限なんてのは、結局自分で決められないヒトに用意されたもの。
表向きは、そりゃさ
『消費者に安全に食べてもらえる私たちの保障期間』
だからさ。そんなん、わかってるって。
こういうときにさ、気づくべきさ。
ほんとにそのケーキ、だいじょぶなの?
信じる?信じない?
まぁこういう理屈は筋を通すには別の回答が必要なので
この程度にしておくよ。
今回、いいたかったのは、自分の味覚に自信持て!!
キャビアじゃないんだよ、判断しろっていっているのは。
ケーキ。ケーキ。
その点、ドーナツは安心だよ
不二家について書くか。
あれね。
ずっと前からあったんだって。
だろうね。
これってさ、食中毒は問題なんだよ。
でもさ、賞味期限って微妙じゃね?
夏の牛乳。
1日経つと、多分捨てる。
冬の牛乳。
3日経つと、多分捨てる。
夏の納豆。
3日経つと、多分捨てる。
冬の納豆。
1週間経つと、多分捨てる。
おいしそうなケーキ。
食べ損ねても、2日くらいなら、とりあえず口につけてみる。
おいしそうな牛肉。
狂牛病発覚後の肉なら、喜んで買う。
あるあるで話題になった嫌いな食べ物。
喜んで、口にする。
ってな感じでさ
尺度なんてこんなもん。
自分で納得して決めて判断するから。
賞味期限なんてのは、結局自分で決められないヒトに用意されたもの。
表向きは、そりゃさ
『消費者に安全に食べてもらえる私たちの保障期間』
だからさ。そんなん、わかってるって。
こういうときにさ、気づくべきさ。
ほんとにそのケーキ、だいじょぶなの?
信じる?信じない?
まぁこういう理屈は筋を通すには別の回答が必要なので
この程度にしておくよ。
今回、いいたかったのは、自分の味覚に自信持て!!
キャビアじゃないんだよ、判断しろっていっているのは。
ケーキ。ケーキ。
その点、ドーナツは安心だよ
組み立て式ではないんだよ。
2007年1月14日 言葉のラビリンス最近、はやっているね。
バラバラ。
なんで、切り刻むのか?
運びやすくするため?としか思わないんだけど
コメンテータに言わせれば、
「相当、憎んでいたのでしょう」
わかるか?そんなこと。
思うんだけど、どうしてさ、犯人の心理を知ろうとするんだろうね。
ましてや、つかまっているわけだし。
いいじゃん、どういう事情であれ、
ヒトを殺すことに大義名分なんてないのにさ。
あーいうくだらない議論?コメントをして、納得するのかなぁ。
犯人が殺した。
それが、事実。
3年間、話をしていない
とか、
相当憎んでいた?
とか、
許せなかった
とか。
どう、殺したか?だけを総じて言えばよいのに。
殺してしまえば、すべておわり・・・
その始まりも途中もないのだ。
もし、願わくば、殺されたヒトの気持ちがわかると
いいかな。
そしたら、違う方向にいっていたのかもね。
もう、元には戻せないんだよ。
バラバラ。
なんで、切り刻むのか?
運びやすくするため?としか思わないんだけど
コメンテータに言わせれば、
「相当、憎んでいたのでしょう」
わかるか?そんなこと。
思うんだけど、どうしてさ、犯人の心理を知ろうとするんだろうね。
ましてや、つかまっているわけだし。
いいじゃん、どういう事情であれ、
ヒトを殺すことに大義名分なんてないのにさ。
あーいうくだらない議論?コメントをして、納得するのかなぁ。
犯人が殺した。
それが、事実。
3年間、話をしていない
とか、
相当憎んでいた?
とか、
許せなかった
とか。
どう、殺したか?だけを総じて言えばよいのに。
殺してしまえば、すべておわり・・・
その始まりも途中もないのだ。
もし、願わくば、殺されたヒトの気持ちがわかると
いいかな。
そしたら、違う方向にいっていたのかもね。
もう、元には戻せないんだよ。
眠くなーる。あなたはだんだん眠くなる〜
2006年4月20日 言葉のラビリンス最近は「疲れた」
といわないようにしている。
何かのおまじない?っていうわけではないが、
口に出すとそんな一言でも
自分にかえってくるもんだ。
ことばの力は昔から言われており、
日本人が得意とする文化でもある。
もしかしたら、
「察する」というのは言葉があまりにも強いから
それに変わる手段を日本人が歴史の中で生み出した
ひとつなのかもしれない。
だから逆に
『充実した』
という言葉をいうようになった。
今日は充実したなぁ。
つまり、暗示だ。
言葉に出して、言うこと。
それは思い込みなのかもしれないが、
脳に必ず伝達する。
そうすることで、体は反応する。
少しずつ反応することで
行動パターンも変わっていく。
あとはそれに堪えうる肉体を持つことだ。
そう思う。
『信じるものは救われる』
『心頭滅却すれば火もまた涼し』
『祈願成就』
『口は災いのもと』?
『・・・』
もう出てこない。語彙のなさがここにでてくる。
対象はあくまでも自分。
そうやって自分自身に暗示をかけることで
人は困難や悲しいこと、マイナスの感情をプラスに変えてきた。
『作用反作用の法則』なのかなぁ。
だが、たまに肉体が脳の指令とは無関係に疲労を感じるときがくる。
そういうときは無理に念じなくて良い。
ゆっくり休めばよい。
あくまでも脳の動きを具現化して体現しているのが
肉体に過ぎないのだから。
宗教っぽくなってしまったが、最近そういう風に
色々なことが一つに結びつくことに気づく。
どちらが先とか考えなくて良い。
好きな子には『すき』といえばよいし、
感謝したときには『ありがとう』といえばよい。
今日は体が休めといっている。
だからそろそろ寝ようと思う。
立ち止まることも一つの動きなのだから。
といわないようにしている。
何かのおまじない?っていうわけではないが、
口に出すとそんな一言でも
自分にかえってくるもんだ。
ことばの力は昔から言われており、
日本人が得意とする文化でもある。
もしかしたら、
「察する」というのは言葉があまりにも強いから
それに変わる手段を日本人が歴史の中で生み出した
ひとつなのかもしれない。
だから逆に
『充実した』
という言葉をいうようになった。
今日は充実したなぁ。
つまり、暗示だ。
言葉に出して、言うこと。
それは思い込みなのかもしれないが、
脳に必ず伝達する。
そうすることで、体は反応する。
少しずつ反応することで
行動パターンも変わっていく。
あとはそれに堪えうる肉体を持つことだ。
そう思う。
『信じるものは救われる』
『心頭滅却すれば火もまた涼し』
『祈願成就』
『口は災いのもと』?
『・・・』
もう出てこない。語彙のなさがここにでてくる。
対象はあくまでも自分。
そうやって自分自身に暗示をかけることで
人は困難や悲しいこと、マイナスの感情をプラスに変えてきた。
『作用反作用の法則』なのかなぁ。
だが、たまに肉体が脳の指令とは無関係に疲労を感じるときがくる。
そういうときは無理に念じなくて良い。
ゆっくり休めばよい。
あくまでも脳の動きを具現化して体現しているのが
肉体に過ぎないのだから。
宗教っぽくなってしまったが、最近そういう風に
色々なことが一つに結びつくことに気づく。
どちらが先とか考えなくて良い。
好きな子には『すき』といえばよいし、
感謝したときには『ありがとう』といえばよい。
今日は体が休めといっている。
だからそろそろ寝ようと思う。
立ち止まることも一つの動きなのだから。
人間が動いているからこそ、四季があるのだ。
2006年1月13日 言葉のラビリンス コメント (1)さあ。久々です。
新年の挨拶は、世間で言う喪中に当たるため、
控えさせていただきますが、
故人を偲ぶあまり、新年を喜ぶことに
遠慮してしまうようでは、
だんだんと新年を祝う思いもなくなってくるのでは
ないだろうか?
これは、誕生日をだんだん祝わなくなる日本人の特質かもしれない。なくなった人には、何周忌といって
いつまでも、偲ぶ。
亡くなってから、思われるのは悪くないむしろ
大切なのだが、
何周忌という形で、束縛せずとも
大事な人はいつ、なんどきでも思い出すときは思い出すものだ。
セレモニーになっちまうよ。
だったら、今生きている人にセレモニーを盛大にやってあげる
べきかと私は思うのだが。
とまぁ、新年から思い話をするのはしょうがないのかなぁ。
とりあえず、今年もよろしくです。
新年の挨拶は、世間で言う喪中に当たるため、
控えさせていただきますが、
故人を偲ぶあまり、新年を喜ぶことに
遠慮してしまうようでは、
だんだんと新年を祝う思いもなくなってくるのでは
ないだろうか?
これは、誕生日をだんだん祝わなくなる日本人の特質かもしれない。なくなった人には、何周忌といって
いつまでも、偲ぶ。
亡くなってから、思われるのは悪くないむしろ
大切なのだが、
何周忌という形で、束縛せずとも
大事な人はいつ、なんどきでも思い出すときは思い出すものだ。
セレモニーになっちまうよ。
だったら、今生きている人にセレモニーを盛大にやってあげる
べきかと私は思うのだが。
とまぁ、新年から思い話をするのはしょうがないのかなぁ。
とりあえず、今年もよろしくです。
どこにいても見つかってしまう。あなたに忘れて欲しかった・・・
2005年6月11日 言葉のラビリンス
ベートーヴェン・ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61ブラームス…
今日は、暑い。だから、髪をきってこよっと。
日本サッカーおめでとうございます。
ちょうど、寮生会議があったので、
終了と同時に始まる時間だったので、ちょっぴり安心。
だが、同期と話していると、
日本のサッカーのレベルは世界に通用しないらしい。
このまま、行ってもだめだめなんだって。
だから、行くのはいいんだけど
行ったあとが大変らしい。
サッカーがわからない人にしてみれば、(俺も含め)
楽しみが増えた!ってかんじなんだけどさ。
参加することより、勝ち抜くこと。
そうらしいよ。
梅雨に入っちゃった。
あーあ、COOK BIZ
ってあるんだけど、やっぱり紳士服業界からクレームきたよね、
でもさ、そもそも夏のネクタイの消費量って大して多くないのでは?多いといえば、やはり春じゃん。
だから、統計的にみれば、そんな変わらないはず。
っていうか、その環境ブームに乗っかって
COOL BIZに準じた商品を提案していけばいいのにさ。
俺なんか、スーツ着ないでも委員会の代表なんだから。
今日は、暑い。だから、髪をきってこよっと。
日本サッカーおめでとうございます。
ちょうど、寮生会議があったので、
終了と同時に始まる時間だったので、ちょっぴり安心。
だが、同期と話していると、
日本のサッカーのレベルは世界に通用しないらしい。
このまま、行ってもだめだめなんだって。
だから、行くのはいいんだけど
行ったあとが大変らしい。
サッカーがわからない人にしてみれば、(俺も含め)
楽しみが増えた!ってかんじなんだけどさ。
参加することより、勝ち抜くこと。
そうらしいよ。
梅雨に入っちゃった。
あーあ、COOK BIZ
ってあるんだけど、やっぱり紳士服業界からクレームきたよね、
でもさ、そもそも夏のネクタイの消費量って大して多くないのでは?多いといえば、やはり春じゃん。
だから、統計的にみれば、そんな変わらないはず。
っていうか、その環境ブームに乗っかって
COOL BIZに準じた商品を提案していけばいいのにさ。
俺なんか、スーツ着ないでも委員会の代表なんだから。
君はいつから『君』になったんだい?
2005年4月28日 言葉のラビリンス連休。
それは、単なる祝日の集合体。
祝日の縮図???みたいな。
俺の仕事上、曜日やその日がどんな日であろうと、
関係がない。
ましてや、ゴールデンでもない。
ただ、その日があり、その日を過ごせば、その日が終わる。
おそらく、世の方々はどこにいこうか?
なにをしようか?
と頭に想像をし、膨らませているに違いない。
いってらっしゃい
こういうとき、前はなんかしていたな。
あーでもない、こーでもないって考えながらさ。
でも、こういう日に行くのって結局
どこも混んでいるから、思った以上の
成果はえられないままその日が終わってしまう。
大概金のかかるところだから
余計な出費だけかさみそう。
まぁ、こういうときは公園などで遊ぶのが一番か?
レンタルビデオでも借りて
うちでゆっくり過ごすか?
はたまた実家に帰り
おき楽に過ごすか?
なにはともあれ、連休の後はちゃんとした日常が待っている。
よく友人がいうのだが、
『日常がつらいから、こういう大型連休のときには、しっかり楽しみたい』
だと。
これは、連休明けに普段の生活に戻ったとき
ドットくる現実逃避を忘れてしまっている。
このことは、単なる言い逃れだろう。
現実が苦しいからってなぜ、休みに何かをしようとするのか?
これは、忙しいからなにかをしなくちゃ!
ではなく、
何かをしたいから、日々が忙しいを理由にしているのである。
なぜならば、子供の頃に親に対して駄々をこねて
『どこか吊れていって』
とよくいったもんだ。
そのときの理由が
『ふだんちゃんと、お手伝いしているし、勉強もしてんじゃん』
みたいな。
これは、日々の忘却。さらに友人へ羨望。
逆に大人にしてみれば、日々働いているのだから
長い連休ならお休みしたい、ゆっくりしたいというのが本音だろう。
実際、父親がゆっくり家にいる姿はよく見かける。
どの家庭だってそうだろう。
俺は今の仕事に疲れを感じないから
取立て、今を忘却してくれるような事象を望んでいない。
ただ、なんかしら理由があり外に出るときは出る。
なんにもないときでも外に出る。
それは、外の空気が吸いたいのであり
それ以上もない。
ただ、明らかに明日すべきことがないとさみしいとかんじることもある。
出不精なだけなんだが。
それは、単なる祝日の集合体。
祝日の縮図???みたいな。
俺の仕事上、曜日やその日がどんな日であろうと、
関係がない。
ましてや、ゴールデンでもない。
ただ、その日があり、その日を過ごせば、その日が終わる。
おそらく、世の方々はどこにいこうか?
なにをしようか?
と頭に想像をし、膨らませているに違いない。
いってらっしゃい
こういうとき、前はなんかしていたな。
あーでもない、こーでもないって考えながらさ。
でも、こういう日に行くのって結局
どこも混んでいるから、思った以上の
成果はえられないままその日が終わってしまう。
大概金のかかるところだから
余計な出費だけかさみそう。
まぁ、こういうときは公園などで遊ぶのが一番か?
レンタルビデオでも借りて
うちでゆっくり過ごすか?
はたまた実家に帰り
おき楽に過ごすか?
なにはともあれ、連休の後はちゃんとした日常が待っている。
よく友人がいうのだが、
『日常がつらいから、こういう大型連休のときには、しっかり楽しみたい』
だと。
これは、連休明けに普段の生活に戻ったとき
ドットくる現実逃避を忘れてしまっている。
このことは、単なる言い逃れだろう。
現実が苦しいからってなぜ、休みに何かをしようとするのか?
これは、忙しいからなにかをしなくちゃ!
ではなく、
何かをしたいから、日々が忙しいを理由にしているのである。
なぜならば、子供の頃に親に対して駄々をこねて
『どこか吊れていって』
とよくいったもんだ。
そのときの理由が
『ふだんちゃんと、お手伝いしているし、勉強もしてんじゃん』
みたいな。
これは、日々の忘却。さらに友人へ羨望。
逆に大人にしてみれば、日々働いているのだから
長い連休ならお休みしたい、ゆっくりしたいというのが本音だろう。
実際、父親がゆっくり家にいる姿はよく見かける。
どの家庭だってそうだろう。
俺は今の仕事に疲れを感じないから
取立て、今を忘却してくれるような事象を望んでいない。
ただ、なんかしら理由があり外に出るときは出る。
なんにもないときでも外に出る。
それは、外の空気が吸いたいのであり
それ以上もない。
ただ、明らかに明日すべきことがないとさみしいとかんじることもある。
出不精なだけなんだが。
手、目、耳、サワルことにこだわるのなら、因果を求めるな。それでは、可だ。
2005年2月22日 言葉のラビリンス『優』ってさ、ほかと比べて勝っているとき、また誰が見ても
悪くない、すばらしい評価を得られるとき、用いるよね。
この日本語の世界にはさ、これがつく特殊な言葉があって、
俳優
男優
女優
声優
・・・
ってあるでしょ?
なんでさ、歌がうまい人、もしくは歌を歌って能力を発揮している人は、
歌優
とかって言わないんだろうね?
まぁ歌優じゃなくとも
音優とか、楽優とか、あるじゃん。
なんで歌手なんだろう。
またさ、やっぱり何かに優れているからってことで
こういう風に呼ばれているんだけど、
最近、タレントがさ、ディズニーやアニメの声優をやっていない?
あれは許せないね。
なんでさ、売り上げがあがるからという目先の理由で
そういうさ優れてもいない人に声優をやらせるんだ?
少しはさ、練習するんだろうけど
それを目的に見に行くってさ、
結局その作品を見ていないことになるんだよね。
声を聞きに行くだけ・・・
具体例を挙げれば、カトリシンゴは最悪なんだよ。
彼は有名なグループにいるからそういう風に
なんでもこなさなきゃいけいないという宿命にいるんだろうけど
彼は役者としてもダメ。
(これは、過去彼が主演したドラマを見れば一目瞭然。まぁ、新撰組は彼がよいのではなく、周りがよかった、周りが助けたというだけ)
彼は映画はまったくダメ。
(これも、過去の彼が出演したのを見ればわかる。ロボットのやつや、はっとりくん、等等)
彼は歌もダメ。
(これは、まぁ一生懸命さで五分五分。)
そして、また声優をやるなんてさ。
子供人気っていうけど、そんなにあるの?
あるのはママだけでしょ?
彼の才能が一番評価されること。
それは芸術的感覚。
この感覚は間違いなく『優』が与えられる。
またタレントとしてその範囲をこえずやるべき。
またそれにつられて、ツヨシが声優をやるし。
やめてくれ〜
どうみたって、普通の人だろ?彼は。
日本はさ、海外には類をみないくらい
すばらしい声優っていう職業があるんだよね。
そのための専門学校もちゃんとあるし。
そういう人たちがせっかく努力したところで
メディアに露出しているだけで
その栄光の座を譲らなきゃいけないなんて
悲しすぎやしないかい?
ハウルだってそうだろ?あれはジブリじゃないよね。
だからさ、大して話題にならなかったんだよね。
だからさ、もしどうしてもそういう
専門的な声でない人を使うんだったら
その映画をさ見終わって初めて気づかせてくれるような
前もって言わない、発表しない
見た人だけ、見終わって、
『あ、この声、あの人だったんだ!!!』
っていうふうにしてほしいな。
じゃなきゃさ、アニメの分野はどんどん侵食していくよね?
一昔前にさ、声優がテレビにでてきて
あの人が、この声も、あのキャラの声もやってるんだ、
って知ったときすんごくどきどきしなかった?
あのどきどき感ってさ、
誰かわからないからなんだよね。
誰の声か分からない・・・
誰なんだろう、だれなんだろうって。アニメをみたときはそのアニメのキャラでしかなくてさ。
この感覚を排除するって行為には
サンタがパパであっても許せない。
悪くない、すばらしい評価を得られるとき、用いるよね。
この日本語の世界にはさ、これがつく特殊な言葉があって、
俳優
男優
女優
声優
・・・
ってあるでしょ?
なんでさ、歌がうまい人、もしくは歌を歌って能力を発揮している人は、
歌優
とかって言わないんだろうね?
まぁ歌優じゃなくとも
音優とか、楽優とか、あるじゃん。
なんで歌手なんだろう。
またさ、やっぱり何かに優れているからってことで
こういう風に呼ばれているんだけど、
最近、タレントがさ、ディズニーやアニメの声優をやっていない?
あれは許せないね。
なんでさ、売り上げがあがるからという目先の理由で
そういうさ優れてもいない人に声優をやらせるんだ?
少しはさ、練習するんだろうけど
それを目的に見に行くってさ、
結局その作品を見ていないことになるんだよね。
声を聞きに行くだけ・・・
具体例を挙げれば、カトリシンゴは最悪なんだよ。
彼は有名なグループにいるからそういう風に
なんでもこなさなきゃいけいないという宿命にいるんだろうけど
彼は役者としてもダメ。
(これは、過去彼が主演したドラマを見れば一目瞭然。まぁ、新撰組は彼がよいのではなく、周りがよかった、周りが助けたというだけ)
彼は映画はまったくダメ。
(これも、過去の彼が出演したのを見ればわかる。ロボットのやつや、はっとりくん、等等)
彼は歌もダメ。
(これは、まぁ一生懸命さで五分五分。)
そして、また声優をやるなんてさ。
子供人気っていうけど、そんなにあるの?
あるのはママだけでしょ?
彼の才能が一番評価されること。
それは芸術的感覚。
この感覚は間違いなく『優』が与えられる。
またタレントとしてその範囲をこえずやるべき。
またそれにつられて、ツヨシが声優をやるし。
やめてくれ〜
どうみたって、普通の人だろ?彼は。
日本はさ、海外には類をみないくらい
すばらしい声優っていう職業があるんだよね。
そのための専門学校もちゃんとあるし。
そういう人たちがせっかく努力したところで
メディアに露出しているだけで
その栄光の座を譲らなきゃいけないなんて
悲しすぎやしないかい?
ハウルだってそうだろ?あれはジブリじゃないよね。
だからさ、大して話題にならなかったんだよね。
だからさ、もしどうしてもそういう
専門的な声でない人を使うんだったら
その映画をさ見終わって初めて気づかせてくれるような
前もって言わない、発表しない
見た人だけ、見終わって、
『あ、この声、あの人だったんだ!!!』
っていうふうにしてほしいな。
じゃなきゃさ、アニメの分野はどんどん侵食していくよね?
一昔前にさ、声優がテレビにでてきて
あの人が、この声も、あのキャラの声もやってるんだ、
って知ったときすんごくどきどきしなかった?
あのどきどき感ってさ、
誰かわからないからなんだよね。
誰の声か分からない・・・
誰なんだろう、だれなんだろうって。アニメをみたときはそのアニメのキャラでしかなくてさ。
この感覚を排除するって行為には
サンタがパパであっても許せない。
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ベイシス ヒアルロン酸原液 35ml アクアコートでお肌はピチ…
私はひげが濃いため、ひげをそった後
肌に良い化粧水をつけている。
熱にこれをつけているわけではなく、
ましてや用途が正しいのかもわからず、
肌につけてひんやりするあの感覚を欲している、
ただそれだけだ。
多少なり痛んだ肌もおまじないのように
潤いを取り戻す。
乾燥肌である以上、
生命と同じように水分補給というところか。
私はひげが濃いため、ひげをそった後
肌に良い化粧水をつけている。
熱にこれをつけているわけではなく、
ましてや用途が正しいのかもわからず、
肌につけてひんやりするあの感覚を欲している、
ただそれだけだ。
多少なり痛んだ肌もおまじないのように
潤いを取り戻す。
乾燥肌である以上、
生命と同じように水分補給というところか。
多くの鎧を身に着けて、子供は身動きできなくなる。
2005年1月28日 言葉のラビリンス先日、父と弟と3人で飲んだ。
私のお父さんは現在は仕事で月に2回くらい
多いときで4回くらい東京に来る。
いっつも会議だ、会議だと言ってくるのだが、
どれだけ会議をすればいいのだろう?
ふと思うよね。
よし、今度聞いてみよう。
日本の文化ではそうやって調和をとろうとするんだよね。
いちいち号令かけてさ、足並み揃えてさ、
揃わないとまず権力を振りかざされ
その次に周囲から白い眼で見られるんだよね。
環境問題に必死に取り組んでる会社ですら
会議では
ほとんど無意味なレジュメを配って
WEB上でいいのでは?と
首を傾げようものなら
手元にあるほうが参照しやすいでしょ。
だって。
だったら、環境に配慮するっていうのは
宣伝か?
まぁ、宣伝だよね
支離滅裂だね。まぁともかくさ親の立場から考えれば
そういうこともいっていられない・・・
こんなところにも圧力が・・・
それはともかく。
お父さんにさ、言われたね。
子供の話。
なんかどうしても孫をみたいらしい。
実家で近所の家でお母さんも呼ばれて
一緒に飲んだときに、
おばちゃんに、
『結婚まだなの?』
っていわれてさ、
『お母さん、孫見たいの?』
って聞いたら
『そりゃみたいさー』
だって。
そして、今回も。
子供をどうするのか?ということから
始まり、
『そんな簡単に決めるんじゃないぞ』
っていわれた。
俺はさ、正直子供はいらないのよ。
これは彼女さんにも言ったんだ。
『オレ、子供いらないから』
そしたら、彼女さんは
『そんときになったとき考えればいいよ』
といっていた。
そんときって切迫するだろうな。
結婚したら、孫を見たい。
親の欲求はどんどん高まるだろうね。
望んでいないことをしていく。
その結果おれはどんどん
路頭に迷うのかな?
子供が要らない理由。
それは、
一つ目にオレの遺伝子は必要ないということ。
二つ目に養うことが難しいということ。
三つ目に他人の子供で十分ということ。
四つ目に自分の人生で手一杯ということ。
子供を持っている人や欲しいという人に批判や
否定しようというのではない。
単純にこういう考えの人もいるんだ、程度に留めて欲しいね。
わたしはワタシ。
あなたはアナタ。
一つ目の理由。これは自己批判ではない。
ここまで俺を育てるのに親がどれだけ苦労したんだろう
ということを考えると
少なくとも俺の遺伝子を周到して生まれる子供はかわいそうと
考える。
二つ目の理由。これは不景気とは関係ない。
まぁ、金があればなんとかなる話。
ただ、子供のために使うというのは
際限ないもので、自分の収入に見合っていなければ
惨めにみえるのは子供なんだよね。
三つ目の理由。養子をとるという意味ではない。
子供を見て、あーあかわいいとは思う。
子供の話しをしている人を見ると幸せそうに話しているなとも思う。
子供と触れ合っている親子をみて仲いいなとも思う。
要するに他人の姿で満足できてしまうのである。
四つ目にの理由。依存できないというわけではない。
正直、いま精一杯生きていない。
社会の歯車になったけど、そんなに大きくない。
多分、落ち着いてからでは遅いんだろうな。
って周囲は言うんだよね。
遅い早いってなんだ?
奥さんが子供を生める年齢か?
子供が授業参観に親を呼ぶとき若くないといわれることに抵抗
を感じるからか?
日本ってさ結婚観っていうのが変でさ。
継母や継父に対してマイナスのイメージあったり。
子供がいないのはだめだったり。
離婚するのはだめだったり。
隠そうとする部分はそこじゃないんだよね。
大切なのはその人が今幸せか?それにつきるんだよね。
だから、おれみたいのは特異質なんだろうね。
おそらく、他人の人生を背負うことが怖いんだよね。
何年後か経って、結婚したい、子供ほしいというのかもしれない。
そんときのためにも今の考えをここに記しておこう!
そして、ココロ変わりしたときこの文章を読んで
振り返りたいね。
最近、こういうことばっかり書くようになったと言うことは
圧力か?そういう時期なのか?
なんかしら影響されつつある。
そんな気がする。
私のお父さんは現在は仕事で月に2回くらい
多いときで4回くらい東京に来る。
いっつも会議だ、会議だと言ってくるのだが、
どれだけ会議をすればいいのだろう?
ふと思うよね。
よし、今度聞いてみよう。
日本の文化ではそうやって調和をとろうとするんだよね。
いちいち号令かけてさ、足並み揃えてさ、
揃わないとまず権力を振りかざされ
その次に周囲から白い眼で見られるんだよね。
環境問題に必死に取り組んでる会社ですら
会議では
ほとんど無意味なレジュメを配って
WEB上でいいのでは?と
首を傾げようものなら
手元にあるほうが参照しやすいでしょ。
だって。
だったら、環境に配慮するっていうのは
宣伝か?
まぁ、宣伝だよね
支離滅裂だね。まぁともかくさ親の立場から考えれば
そういうこともいっていられない・・・
こんなところにも圧力が・・・
それはともかく。
お父さんにさ、言われたね。
子供の話。
なんかどうしても孫をみたいらしい。
実家で近所の家でお母さんも呼ばれて
一緒に飲んだときに、
おばちゃんに、
『結婚まだなの?』
っていわれてさ、
『お母さん、孫見たいの?』
って聞いたら
『そりゃみたいさー』
だって。
そして、今回も。
子供をどうするのか?ということから
始まり、
『そんな簡単に決めるんじゃないぞ』
っていわれた。
俺はさ、正直子供はいらないのよ。
これは彼女さんにも言ったんだ。
『オレ、子供いらないから』
そしたら、彼女さんは
『そんときになったとき考えればいいよ』
といっていた。
そんときって切迫するだろうな。
結婚したら、孫を見たい。
親の欲求はどんどん高まるだろうね。
望んでいないことをしていく。
その結果おれはどんどん
路頭に迷うのかな?
子供が要らない理由。
それは、
一つ目にオレの遺伝子は必要ないということ。
二つ目に養うことが難しいということ。
三つ目に他人の子供で十分ということ。
四つ目に自分の人生で手一杯ということ。
子供を持っている人や欲しいという人に批判や
否定しようというのではない。
単純にこういう考えの人もいるんだ、程度に留めて欲しいね。
わたしはワタシ。
あなたはアナタ。
一つ目の理由。これは自己批判ではない。
ここまで俺を育てるのに親がどれだけ苦労したんだろう
ということを考えると
少なくとも俺の遺伝子を周到して生まれる子供はかわいそうと
考える。
二つ目の理由。これは不景気とは関係ない。
まぁ、金があればなんとかなる話。
ただ、子供のために使うというのは
際限ないもので、自分の収入に見合っていなければ
惨めにみえるのは子供なんだよね。
三つ目の理由。養子をとるという意味ではない。
子供を見て、あーあかわいいとは思う。
子供の話しをしている人を見ると幸せそうに話しているなとも思う。
子供と触れ合っている親子をみて仲いいなとも思う。
要するに他人の姿で満足できてしまうのである。
四つ目にの理由。依存できないというわけではない。
正直、いま精一杯生きていない。
社会の歯車になったけど、そんなに大きくない。
多分、落ち着いてからでは遅いんだろうな。
って周囲は言うんだよね。
遅い早いってなんだ?
奥さんが子供を生める年齢か?
子供が授業参観に親を呼ぶとき若くないといわれることに抵抗
を感じるからか?
日本ってさ結婚観っていうのが変でさ。
継母や継父に対してマイナスのイメージあったり。
子供がいないのはだめだったり。
離婚するのはだめだったり。
隠そうとする部分はそこじゃないんだよね。
大切なのはその人が今幸せか?それにつきるんだよね。
だから、おれみたいのは特異質なんだろうね。
おそらく、他人の人生を背負うことが怖いんだよね。
何年後か経って、結婚したい、子供ほしいというのかもしれない。
そんときのためにも今の考えをここに記しておこう!
そして、ココロ変わりしたときこの文章を読んで
振り返りたいね。
最近、こういうことばっかり書くようになったと言うことは
圧力か?そういう時期なのか?
なんかしら影響されつつある。
そんな気がする。
どんな木でも『幸せの実』をつけるんです。
2005年1月21日 言葉のラビリンス本日、夜勤明けだったので眠たい眼をこすりながら
ワイドショー。
杉田かおるの結婚についてアンケートしていた。
しかも、いわゆる30歳以上、子なし、未婚という
人を対象としていた。
負け犬!!!
なんだって。
あーあステレオぽくってやになっちゃうよ。
『私も負け犬なんですよ・・』
口々にでてくる女性はそういっている。
あほか
一人ぐらいはさ、
『結婚で勝ち負けが決まるのか?』
とか、
『あの本はフィクションですからねぇ』
とか、
言えばいいものを。
そういうのでさ、引け目を感じて
何とかして30前に結婚したいって言って
急いで結婚したがる女性が増えちゃうんだよ。
ついこないだまで、晩婚だ!晩婚だ!って
騒いでいたのにさ。
30前と後で差をつける、というか
そういう風潮に流されるなんて・・・文化的でないね。
二次災害としていえばさ、
結婚の準備もできてないのに
結婚をせがまれる男が増えるわけ。
結婚ってさ、結婚してからが大変じゃないの?
生活し始めて、初めて結婚なわけでしょ?
なんかさ、結婚式をあげるだけの結婚を謳ってるみたいなんだよね。
まぁさ、世間のメディアは関係なくて
それに同調する人間がmajorityを占めるのが
嫌なわけよ。
実家帰ってもさ、結婚はまだか?まだか?
という話ばっかし。
世に流されるんだったら、年金を払うようにするだとか
介護の供給をもっと多くするとか、戦争をなくすとか
ほかにあるだろう。
結婚はさ、二人がしたいときに
二人が今後の生活を想像できたときに
そして、死ぬときが一番幸せになるようなとき
にすればよいと思う。
年齢に後押しされるような末路は歩みたくない。
少なくともオレはそう思う。
それに納得できなければ、
年齢を考えてくれる人と結婚してください。
25で結婚しようが、
30で結婚しようが、
35で結婚しようが、
幸せだろ?
人が感じる幸せに負けも勝ちもないのだから・・・
そもそもさ、負け犬がメスだなんてどうしてわかるんだ?
ワイドショー。
杉田かおるの結婚についてアンケートしていた。
しかも、いわゆる30歳以上、子なし、未婚という
人を対象としていた。
負け犬!!!
なんだって。
あーあステレオぽくってやになっちゃうよ。
『私も負け犬なんですよ・・』
口々にでてくる女性はそういっている。
あほか
一人ぐらいはさ、
『結婚で勝ち負けが決まるのか?』
とか、
『あの本はフィクションですからねぇ』
とか、
言えばいいものを。
そういうのでさ、引け目を感じて
何とかして30前に結婚したいって言って
急いで結婚したがる女性が増えちゃうんだよ。
ついこないだまで、晩婚だ!晩婚だ!って
騒いでいたのにさ。
30前と後で差をつける、というか
そういう風潮に流されるなんて・・・文化的でないね。
二次災害としていえばさ、
結婚の準備もできてないのに
結婚をせがまれる男が増えるわけ。
結婚ってさ、結婚してからが大変じゃないの?
生活し始めて、初めて結婚なわけでしょ?
なんかさ、結婚式をあげるだけの結婚を謳ってるみたいなんだよね。
まぁさ、世間のメディアは関係なくて
それに同調する人間がmajorityを占めるのが
嫌なわけよ。
実家帰ってもさ、結婚はまだか?まだか?
という話ばっかし。
世に流されるんだったら、年金を払うようにするだとか
介護の供給をもっと多くするとか、戦争をなくすとか
ほかにあるだろう。
結婚はさ、二人がしたいときに
二人が今後の生活を想像できたときに
そして、死ぬときが一番幸せになるようなとき
にすればよいと思う。
年齢に後押しされるような末路は歩みたくない。
少なくともオレはそう思う。
それに納得できなければ、
年齢を考えてくれる人と結婚してください。
25で結婚しようが、
30で結婚しようが、
35で結婚しようが、
幸せだろ?
人が感じる幸せに負けも勝ちもないのだから・・・
そもそもさ、負け犬がメスだなんてどうしてわかるんだ?
『さん』と『くん』の使い分け。
基本的には、つまり定義は俺がしているわけではないという前提で
『さん』は女性で、『くん』は男性だよね。
女性にはさ、ほとんどの場合、『さん』が多いよね。
たまにさ、年配の人で、
『部下の人には、全員わけ隔てなく『くん』付けするんだ』
っているけど、どうして『さん』じゃないんだろう?
俺はさ、男とという分類である以上気にすることなんだけど
自分の年齢より上か下で『くん』や『さん』と使い分けるんだよね。
第3者に対しては、『さん』が多くて、どうでもいい人になると
呼び捨てになる。
逆に女性の方はそういう使い分けないんだよね?
年齢不詳の相手だろうが、わかっていようが親近感がない人には
すべて『さん』なんだよね。
どんな由来何だろう?
文化?なのかなぁ。これって。
外国人に教えるのは絶対的に『さん』が多いよね。
『●●くん』という外国人は見たことないよね。
『さん』 (尾) 人や物事に対して敬意や親しみを表わす語. ▼高橋(ご苦労)〜 *「さま」より敬意が低い.
『くん』−くん −君
デイリーコンサイス国語辞典より
論点は意識しないことがここにある、ということかな。
基本的には、つまり定義は俺がしているわけではないという前提で
『さん』は女性で、『くん』は男性だよね。
女性にはさ、ほとんどの場合、『さん』が多いよね。
たまにさ、年配の人で、
『部下の人には、全員わけ隔てなく『くん』付けするんだ』
っているけど、どうして『さん』じゃないんだろう?
俺はさ、男とという分類である以上気にすることなんだけど
自分の年齢より上か下で『くん』や『さん』と使い分けるんだよね。
第3者に対しては、『さん』が多くて、どうでもいい人になると
呼び捨てになる。
逆に女性の方はそういう使い分けないんだよね?
年齢不詳の相手だろうが、わかっていようが親近感がない人には
すべて『さん』なんだよね。
どんな由来何だろう?
文化?なのかなぁ。これって。
外国人に教えるのは絶対的に『さん』が多いよね。
『●●くん』という外国人は見たことないよね。
『さん』 (尾) 人や物事に対して敬意や親しみを表わす語. ▼高橋(ご苦労)〜 *「さま」より敬意が低い.
『くん』−くん −君
デイリーコンサイス国語辞典より
論点は意識しないことがここにある、ということかな。
コツはお茶は平等に少しずつ入れると、同じ濃さですよ。
2004年11月2日 言葉のラビリンス香田さん、亡くなった。
うーん、正直、今回は薄かった。
なんでも、そうなんだけどさ、やはり一番目の人の印象って
やっぱり強くてさ、2番目の人ってやっぱりなんでも
その程度の格付けになっちゃうんだよね。
行動心理がどうであろうと、誰が行こうと、
そして、死であろうと。
イラクに行ったという行動に先に注目が集まる以上
それ以上のことはないと思う。
野球でもさ、そうでしょ?
亡くなったことで、多岐方面に波紋が広がっているようだけど
それはそれで、悪くないベクトルなんだけど。
ただ、俺にはそのベクトルはない。
気になるのは、家族の方々の政府やマスコミへの反応。
いっさい、批判をしなかった。また、最後まで息子を守った。
信じてやった。
家族ってそういうもん。
俺はその姿勢に対して一番興味があった。
これは誇ってよいよ、香田さん。
あなたは最後まで家族に守られたんだから。
遺族の方々、謹んでお悔やみ申し上げます。
うーん、正直、今回は薄かった。
なんでも、そうなんだけどさ、やはり一番目の人の印象って
やっぱり強くてさ、2番目の人ってやっぱりなんでも
その程度の格付けになっちゃうんだよね。
行動心理がどうであろうと、誰が行こうと、
そして、死であろうと。
イラクに行ったという行動に先に注目が集まる以上
それ以上のことはないと思う。
野球でもさ、そうでしょ?
亡くなったことで、多岐方面に波紋が広がっているようだけど
それはそれで、悪くないベクトルなんだけど。
ただ、俺にはそのベクトルはない。
気になるのは、家族の方々の政府やマスコミへの反応。
いっさい、批判をしなかった。また、最後まで息子を守った。
信じてやった。
家族ってそういうもん。
俺はその姿勢に対して一番興味があった。
これは誇ってよいよ、香田さん。
あなたは最後まで家族に守られたんだから。
遺族の方々、謹んでお悔やみ申し上げます。
天秤ってさ、量れるものだけ量れるんだよ、そのためだけ。
2004年10月29日 言葉のラビリンス昨日、友人のOぐろの誕生日だった。
だった。
だった?
だった・・・
香田さんだっけ?
イラクに行った日本人は?
うーん、色々騒がれていたけど、
コメントはねぇ。
むずかしいねぇ。
この時期じゃなぁ。
本人の意思は知らなくてよい。
憶測したところで、どうしようもない。
客観的事実だけ取り上げるのなら、
見たあとの行動だけ。
本日、簿記の研修にいってきた。
分かる範囲をトレースすることは心地よい理解にいざなわれる。
なんか、風邪引いた。鼻水がお友達。
こんな日は早めに寝るにかぎる。
だった。
だった?
だった・・・
香田さんだっけ?
イラクに行った日本人は?
うーん、色々騒がれていたけど、
コメントはねぇ。
むずかしいねぇ。
この時期じゃなぁ。
本人の意思は知らなくてよい。
憶測したところで、どうしようもない。
客観的事実だけ取り上げるのなら、
見たあとの行動だけ。
本日、簿記の研修にいってきた。
分かる範囲をトレースすることは心地よい理解にいざなわれる。
なんか、風邪引いた。鼻水がお友達。
こんな日は早めに寝るにかぎる。
忘れる( )があるからです。
2004年10月22日 言葉のラビリンス
臨機応答・変問自在〈2〉
ISBN:4087201600 新書 森 博嗣 集英社 2002/09 ¥756
勢いで2冊買ってしまった。
次回作が5月ということもあり、
森作品を欲してしまっている。
これは前作と同じないようだが、
質問者が一般という点において異なる。
おそらく、みんな森氏に触れたかったんだろうが、
ぜんぜん差がちぢまらなかったような気がする。
第3冊はあるのかといわれれば、
ない、と森氏は答えている。
たしかに対象を変えない限りこの本は続かない。
だから、次は大学勤務者とか
国会議員とか、職種別にやってみるのもよいかと思う。
まぁ、たぶん自分おろかさを露呈するのに
躊躇しない人たちばかりなので
こんなところには顔はださないだろう。
後は、逆パターン。森氏が問いかける
100の問い。なんてのは素敵なまほうになるだろう。
読者はともかく、森ファンにしてみれば、
ぜひ一読したいものである。
思い出と記憶の違いわかる?
思い出は楽しいことばかり、記憶にはつらいことばかり。
ISBN:4087201600 新書 森 博嗣 集英社 2002/09 ¥756
勢いで2冊買ってしまった。
次回作が5月ということもあり、
森作品を欲してしまっている。
これは前作と同じないようだが、
質問者が一般という点において異なる。
おそらく、みんな森氏に触れたかったんだろうが、
ぜんぜん差がちぢまらなかったような気がする。
第3冊はあるのかといわれれば、
ない、と森氏は答えている。
たしかに対象を変えない限りこの本は続かない。
だから、次は大学勤務者とか
国会議員とか、職種別にやってみるのもよいかと思う。
まぁ、たぶん自分おろかさを露呈するのに
躊躇しない人たちばかりなので
こんなところには顔はださないだろう。
後は、逆パターン。森氏が問いかける
100の問い。なんてのは素敵なまほうになるだろう。
読者はともかく、森ファンにしてみれば、
ぜひ一読したいものである。
思い出と記憶の違いわかる?
思い出は楽しいことばかり、記憶にはつらいことばかり。
日記を書くのにどんな意味があるのですか?
2004年10月22日 言葉のラビリンス
臨機応答・変問自在―森助教授VS理系大学生
ISBN:4087200884 新書 森 博嗣 集英社 2001/04 ¥714
最近、これを読んでる。
まぁ、実用書並みというか、以下とういうか。
著者は少なくとも以下と思っているらしいが・・・
読んでる俺にしてみれば、有益なわけで。
どう有益かというと、
その質問を聞くと言う発想だよね。
俺には、考え付かないことを
疑問と思ったり、
逆にその質問に森氏がどう答えるか触れたり、
その両方に魅力を感じる。
どれだったかなぁ、おもしろい質問は・・・
『99%は努力で、残りの1%は才能と言いますが、先生は才能を信じますか?』
『努力することが才能です。才能は持って生まれたものでなく、思い立ったときに、あるいは、やる気があるときに生まれるもので、いつでも消える。自分自身をどれだけコントロールできるかが才能です。』
とか、
『数学の問題は自信があったのにとけませんでした。完敗です。』
に対して、
『数学は基本的に戦闘的なものです。スポーツ的といってよい。だから、負けたと感じることがある。それが正常。』
などなど。
こういう本は文系のひとしかよまないと森氏はおっしゃっているが、私も文系なので、その点はあったっている。
まぁ、おもしろいという感情にしたがっているだけで
コントロールの範囲かな。
この、題名の質問答えられるかな?
参考文献 森博嗣 『臨機応答・返問自在』集英社 2001年、111 頁、141頁。
ISBN:4087200884 新書 森 博嗣 集英社 2001/04 ¥714
最近、これを読んでる。
まぁ、実用書並みというか、以下とういうか。
著者は少なくとも以下と思っているらしいが・・・
読んでる俺にしてみれば、有益なわけで。
どう有益かというと、
その質問を聞くと言う発想だよね。
俺には、考え付かないことを
疑問と思ったり、
逆にその質問に森氏がどう答えるか触れたり、
その両方に魅力を感じる。
どれだったかなぁ、おもしろい質問は・・・
『99%は努力で、残りの1%は才能と言いますが、先生は才能を信じますか?』
『努力することが才能です。才能は持って生まれたものでなく、思い立ったときに、あるいは、やる気があるときに生まれるもので、いつでも消える。自分自身をどれだけコントロールできるかが才能です。』
とか、
『数学の問題は自信があったのにとけませんでした。完敗です。』
に対して、
『数学は基本的に戦闘的なものです。スポーツ的といってよい。だから、負けたと感じることがある。それが正常。』
などなど。
こういう本は文系のひとしかよまないと森氏はおっしゃっているが、私も文系なので、その点はあったっている。
まぁ、おもしろいという感情にしたがっているだけで
コントロールの範囲かな。
この、題名の質問答えられるかな?
参考文献 森博嗣 『臨機応答・返問自在』集英社 2001年、111 頁、141頁。
飛ばしたくなる、目に余るモノ
2004年10月19日 言葉のラビリンス
強力エアーでシュッとひと噴き!!大増量大型のエアーダスター
だそうである。
ためしに使ってみたところ、かなり勢いがよい。
キーボードはこいつのおかげできれいになった。
ふと、感じたのが、このサイト、秘密日記も他の
ポータルサイトから検索でひっかかるのだ。
こいつにはびっくり。
秘密でもなんでもない。
相互リンクだけの秘密だとおもっていたのに・・・
なんとかして、管理人。
だそうである。
ためしに使ってみたところ、かなり勢いがよい。
キーボードはこいつのおかげできれいになった。
ふと、感じたのが、このサイト、秘密日記も他の
ポータルサイトから検索でひっかかるのだ。
こいつにはびっくり。
秘密でもなんでもない。
相互リンクだけの秘密だとおもっていたのに・・・
なんとかして、管理人。
軽い石は見向きもしない。
2004年10月14日 言葉のラビリンス
『Φは壊れたね』
ISBN:4061823922 新書 森 博嗣 講談社 2004/09/10 ¥861
久々の新刊。S&Mシリーズ、Vシリーズと完結し、
次回はいつ出るんだろう?と期待していたところ
いつの間にか、書店に登場。
今度のシリーズはもえの後輩が中心か?
内容はネタバレなので、大してかけないが、
やはり森氏の文章による描写は大変興味深い。
一つ一つの細胞が一気に広がりを見せるかのように
そして、一瞬の隙もなく
コトバの迷宮に、いざなう。
だが、正直物足りなかったかな?
すらすら読めてしまった。
今までだと読むのにかなりの時間を労してしまった。
というより、大切に読んでいけたような気がする。
これを普通は飽きたっていうんだろう。
そういう、日常に取り込まれたことの一部を
『慣れ』という。
私は森ミステリィに慣れたのか。
この、同化に素直に喜んでよいのか、
この、ありふれた感情に流されてよいのか、
自分の領域に何者かが侵入する。恐怖と興味が
同居し、そして、警告を鳴らす。
物事を知ると言う恐怖を。
わかっているのだろうか?
領域を侵すということはそこに自分の
存在と照らしあわす努力をしなければならず
また、一切他にもらしてはならない。
安易に開けたその扉は
もう閉じることはできない。
扉を開けた後では、その扉の意味や重さを
忘れてしまう。それが、飽きるというものだ。
気づいているのか?
あなた自身が飽きているということを。
ISBN:4061823922 新書 森 博嗣 講談社 2004/09/10 ¥861
久々の新刊。S&Mシリーズ、Vシリーズと完結し、
次回はいつ出るんだろう?と期待していたところ
いつの間にか、書店に登場。
今度のシリーズはもえの後輩が中心か?
内容はネタバレなので、大してかけないが、
やはり森氏の文章による描写は大変興味深い。
一つ一つの細胞が一気に広がりを見せるかのように
そして、一瞬の隙もなく
コトバの迷宮に、いざなう。
だが、正直物足りなかったかな?
すらすら読めてしまった。
今までだと読むのにかなりの時間を労してしまった。
というより、大切に読んでいけたような気がする。
これを普通は飽きたっていうんだろう。
そういう、日常に取り込まれたことの一部を
『慣れ』という。
私は森ミステリィに慣れたのか。
この、同化に素直に喜んでよいのか、
この、ありふれた感情に流されてよいのか、
自分の領域に何者かが侵入する。恐怖と興味が
同居し、そして、警告を鳴らす。
物事を知ると言う恐怖を。
わかっているのだろうか?
領域を侵すということはそこに自分の
存在と照らしあわす努力をしなければならず
また、一切他にもらしてはならない。
安易に開けたその扉は
もう閉じることはできない。
扉を開けた後では、その扉の意味や重さを
忘れてしまう。それが、飽きるというものだ。
気づいているのか?
あなた自身が飽きているということを。
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