2月27日、最後のおばあちゃんが亡くなる。
14:25

最後はうちの母親が養護院にて見取った。
眠るように息を引き取ったそうだ。

その約1ヶ月前。
弟から、現在のおばあちゃんの容態を聞いて
これはなんかやばいと思って、急遽、実家に戻りお見舞いに行った。
そしたら、聞いていた通り、のどの調子が悪く
たんが絡み、むせながらしきりに喉元に手をあてていた。
原因は若い頃、食道がんで手術したところが、年を経て硬くなり食堂が
細くなって、なにものどを通らなくなってきたのだ。


「おばあちゃん、おれだよ、○○だよ~」
って声をかけると、
「おーー、○○かぁ。どっかのだれかさんも言っていたなぁ」
と、僕の名前を呼んでくれた。

もう、痴呆症がひどく自分の娘(僕の母親)のこともわからないのに
僕の名前を口にしてくれたことはすっごくうれしかった。

妹からはお盆なんてとんでもない、もう1,2ヶ月かもって聞いていたから
あのとき、とっさに帰れておばあちゃんの顔をみれて本当によかったと思う。


思い立ったら吉日というが、まさにそういうタイミングだったかもしれない。

その後1ヶ月たったら、おばあちゃんはもう痰に苦しむこともなくなっていた。
僕の名前も呼べなくなった。
手を強く握っても、握り返すことはなくなった。
そう、すべてがなくなった。



そして、お通夜。
おはちゃんはきれいにお化粧をしていた。
いっぱいの思い出の品々とともに静かに目を閉じていた。
やっぱり、泣いてしまった。
覚悟していたからさ、なんていうんだろう、そんなに悲しみっていうより
おばあちゃんがどんだけ苦しんでいたのか?を想像すると
やっと楽になったんだね、ってちょっと安心した気持ちもあった。
おじいちゃんとこれからは一緒なんだね。


その日の夜は一緒にホテルに帰った。
夜食で食べたラーメンは少ししょっぱかった。


そして、次の日告別式。
なんていうんだろう、おばあちゃんとの最後のお別れ。
母親がおばあちゃんの顔に手を当てて
涙を浮かべていた。

そしたら、自然とあふれ出すように、トマラナイ涙が
悲しみが目じりからあふれ出した。

今回は母親のためにと思って、会社に午後休をもらっていそいでかけつけた。
その母親をしっかり支えるように、ぼくはいなければとおもった。

だが、母の姿をみると、とてつもなく悲しく、さびしくなった。
隣にいた奥さんも、相当僕が感情を入れて泣いていたのだろう、
顔をくしゃくしゃにしている僕の顔をみて
びっくりしてずっと声をかけてくれて、手を握ってくれた。

母親の悲しい姿はやっぱりココロを打つ。

やっぱり、男の子。
母親だけは守らなければ。


おばあちゃん、天国でおじいちゃんと一緒に畑でも耕してね。
そして、うちのお母さんをいつまでも見守ってね。
おばあちゃん、元気でね♪





春の昼下がり、霊柩車のクラクションが時を止めるように、いつまでも胸に鳴り響いた。

















おばあちゃんは天国に一番近いところで階段をみつけたんだ

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索