おじいちゃんはおととし亡くなった。
おばあちゃんのあとを追うように・・・

ほんとに妻が亡くなると
夫は生きがいをなくしたかのように
今までの精彩を欠き、笑顔が少なくなっていった。

そんなおじいちゃんとのお話である。


おじいちゃんとの思い出は数少ない。
たぶん、最初に認識したのは保育園のころかな。
お盆にみんなで集まってご飯食べるとき。
一番最後に登場してきたんだ。
頭は、もう禿げていて
着ている服はいつも同じデザインの服。
歩くリズムも人に合わせない。
けれども、人々はその足にあわせ、
その視線に自らも注いだ。

ゆっくり登場して
『やぁ』
だからね。

印象としては、『怖い』ひとだった。


考えられないよね、ふつう。
まださ、敬語も知らないのにさ、
もう、こう呼んでいたんだ。

おじいさんって。

おじいちゃんではなく、おじいさんなんだよ。
それから、ずっとおじいさんって。
その怖さがとれるまでは。

最初の思い出は、軽トラックで水泳教室に迎えに
来てもらったとき。
うちは両親共働きで家に帰っても
だれもいないので
弟と一緒にスイミングクラブに通ってた。

そのとき、たまたまおじいちゃんが迎えに来てくれると
いうことだった。
おじいちゃんの愛車は軽トラック。
俺はそのとき、小学3年生くらいかな。
弟は座席に乗って、俺はおじいちゃんに
無理をいって後ろの荷台にのさせてもらうことになった。

『絶対、たっちゃだめだぞ』
とおじいちゃんがいったのを覚えてる。

運動の後だからか、妙に風が気持ちよくて
思わずたったんだよね。

そしたら、家についておじいちゃんはこういったんだ。

『たつな、っていっただろ。そんなことしたらもう乗せないからな』

とえらい剣幕をたてて俺をしかった。

後にも、先にもおじいちゃんに叱られたのはこのときだけである。
今覚えば叱られたことが思い出の一つになるなんて
ステキなもんである。

それ以降、俺はおじいちゃんをしっかり見据えるようになった。



今の時代、おじいちゃんやおばあちゃんは孫なんて
目に入れても痛いくない存在だろう。
だが、うちのおじいちゃんはそんなそぶり一切なかった。
お正月のお年玉なんてものは当たり前のように
ないわけで、あるときおじいちゃんに思い切って
聞いたことがある。

俺『おじいさん、お年玉ほしいんだけど・・・』

おじいさん『ははははは』

俺『だめかなぁ』

おじいさん『やってもよいがそれをどうするんだ?』

俺『そ、それは・・・』

小学生の俺にはおもちゃに使うしか脳がなかった。
だから、それ以外の答えは用意してるわけがなく、
なにも答えることができなかった。

おじいさん『やらないとはいってないぞ。何に使うか言ったら
考えてやる。』

もう、無理だと思った。商売人の考えがこうして俺の中に培われていった。

高校入試が受かったときも、
大学受かったときも
なんにもなかった。
大学受かったときなんかはさすがに俺も
ちゃんと使い道が正当な理由で保持していたので
聞いてみた。

おじいさん『大学は東大と早稲田しか知らないなぁ』

俺『・・・・・・・・・・』

俺が受かった大学は全国区でちゃんと名は通っているし
それなりに人様でも恥じない大学である。
どちらかといえば、上のほうであると世間は認めている。
なのに、おじいちゃんが知らないと理由だけで
あっさりと二度目のお小遣い大作戦は失敗に終わったのである。

あと、おじいちゃんにおいて忘れられなかったこと。
それは、おばあちゃんの看病。
80歳にもなって、ずっと軽トラック運転していて
おばちゃんの病院に通ってた。
でも、ある日接触事故を起こして
周囲から運転をやめろといわれ、
とってもさびしそうな顔してた。

でも、おばあちゃんのお見舞いはかかすことなく
毎日タクシーで通っていた。


毎日、毎日。

毎日、毎日。

毎日、毎日。

お正月でも、お盆でも。みんなで旅行行った時も
朝早く病院に行き、帰ってきてその足で
病院にむかった。

その年月、10年。
毎日通ってたんだ。

親族の計らいでおばあちゃんには付き添いの人がついていた。
ある日、聞いてみた。
『おじいちゃんっていつもなにしてるの?』

『おじいちゃんはね、いっつも10時くらいに来て、おばあちゃんお横に座ってずっと手を握っているんだよ。ずっと。ときどき話しかけたりしてるけど、ずっと手は握っているんだよ。それで、また夕方にくるんだよね。』

その情景は目に浮かぶ。そして誰にも邪魔できない
空間がそこにはあり、そして、おじいちゃんが
どれだけおばあちゃんを大切にしていたのかということを
痛感させられるのである。

おばあちゃんの病室にはノートがあって日々あったこと
や来室客の名前がかいてあるんだけど、
おじいちゃんの名前がない日はない。
それをみて、親もそうしていたし、
親族も安心してた。

そのおばあちゃんが亡くなった。
おじいちゃんはなかなかった。
すべてを受けいれたその顔は
天国に向かうおばあちゃんにどんな
道しるべを示したのだろう。
通夜のあと、
線香を絶やすぬよう、弟と俺はおばあちゃんおそばにいた。
そうすると、おじいちゃんがひょっこりきて
おばあちゃんの顔をのぞいていた。


会話はない。
涙もない。



でも、その光景ってすんごくあったかかったんだよね。
これが夫婦なんだと。


おじいちゃんには様々なこと教わった。
ここでは書きつくせない。

ただただ、普通のおじいちゃんではなかったこと、
そこらへんの年だけとった人間ではないこと、
俺のおじいちゃんであるということ、
おじいちゃんの孫であること。

あなたのおじいちゃんも
もしかしたら、こんぐらいかもしれない。

でも、

でもね、



うちのおじいちゃんはもっとすごいんだよ

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