『また、きてください・・・』
2004年10月27日 日常最近、涙が出てくる。流しているというのか。
『pya!』というサイトにて遭遇。
ここには、おもしろいのもあれば、泣けるのもある。
すべてがほんものかどうかなんていうのは関係ないこと。
問題はそれをみてどう感じたか。
『Disappointed love』
『「ありがとう」って言いそびれたヤツいる?』
『母さん…』
『本当にあった本当のおはなし』
『それでも生きていこう』
『おにいちゃんありがとう』
『おばあちゃんの間違い』
これらのflashを見てほとんど、涙を流してしまった。
最近、泣いてない自分に問いかける
イイ時間を与えてくれたと思う。
自然に流せる涙、意思で流す涙。
前者の涙はコントロールできない。
だからこそ、たまにはこういうものを
みて、自分の体に覚えさせておきたい。
泣いているときの自分はコントロールできないんだ。
人の死もコントロールできない。
話せるときがある、そんとき振り返るか、見過ごすか。
俺も、おばあちゃんと二人のおじいちゃんを喪った。
おばあちゃんは約10年寝たきりだった。
最初入院したのは、俺が留学する前。
入院聞いたときは信じられなくてさ、
でも、こんな時代だから治るよって家族はいってた。
だからさ、大して心配しなかったんだよね。
でもさ、病院ついたらさ、奥のほうに行くのよ。
どこまでいくんだろうっていくとさ、
ドアが何重にもあって、
『これきてください。』って看護婦さんに言われて・・・
白衣みたいなの着るてさ、奥にいるとさ、
おばあちゃんがいるんだよね?
ビニルのカーテン越しに・・・
こっからじゃ届かないんだよ。触れられないんだよ。
この日がはじまりだった。おばあちゃんの闘病生活。
このあとさ、弟がおばあちゃんの姿見て
わんわん、泣いてたの。
あのときの姿って忘れられない。
俺はさ、長男だからさ、そういうときって毅然な態度
とるのがいいと思ってさ。
どうして、素直にならなかったんだろう
それからはさ、事あるごとに病院に行ったよ。
留学行く直前にさ、お見舞いにいった。
どうしてもさ、おばあちゃんにはあいたくってさ。
そんときはさ、おばあちゃん、おれのこと覚えていてくれたんだ
よね。
「おー、元気だった?」
「うん、おばあちゃんも元気そうだね。俺さ、明日アメリカに行くんだ。だからさ、おばあちゃんとはさ、1年会えなくなるんだよね。ごめんね。だからさ、いってきますっていいたかったんだ。」
「ふーん、そうか。気をつけてね」
もうこのときはさ、おばあちゃんコトバも聞き取りずらいし、
俺のいっていること半分わかってたのかどうか。
そんとき、一緒に写真とったんだ。おばあちゃんと。
もう、指もさ、ピースっていってるのに、指が曲がらなかったん
だ・・・
でも、一生懸命笑顔作ってくれて。
おばあちゃんとさ、合言葉があってさ。
『おばあちゃん、また来るからね!』
『また、来てください!』
なんどとなくこの会話をしたんだよね。
そして、留学から帰ってきて、迷わずおばあちゃんに会いにいっ
た。
そしたらさ、おばあちゃん1年の間に言葉数が少なくなって
いるんだよね。周りはさ、そんあことないけどねぇ。っていうけ
ど、離れているとわかってしまうこともさ、あるのであってさ。
それから、約8年、おばあちゃんはいつも病院のベッドにいまし
た。
おばあちゃんに最後にしてあげられなかったこと。
死に目に会えなかったこと
今、天国でなにしてるんだろう?
おじいちゃんと仲良くしてるのかな?
実家に帰ったらさ、まずするのは仏壇に線香あげること。
神様は信じないけど、仏様は信じます。
だって、そこにおじいちゃんもおじいちゃんもおばあちゃんもい
るから・・・
また、実家に帰ったらよろしくね!
そうだ、電話をしよう、家族に。
5人にもかけられる
俺は幸せものだ。
『pya!』というサイトにて遭遇。
ここには、おもしろいのもあれば、泣けるのもある。
すべてがほんものかどうかなんていうのは関係ないこと。
問題はそれをみてどう感じたか。
『Disappointed love』
『「ありがとう」って言いそびれたヤツいる?』
『母さん…』
『本当にあった本当のおはなし』
『それでも生きていこう』
『おにいちゃんありがとう』
『おばあちゃんの間違い』
これらのflashを見てほとんど、涙を流してしまった。
最近、泣いてない自分に問いかける
イイ時間を与えてくれたと思う。
自然に流せる涙、意思で流す涙。
前者の涙はコントロールできない。
だからこそ、たまにはこういうものを
みて、自分の体に覚えさせておきたい。
泣いているときの自分はコントロールできないんだ。
人の死もコントロールできない。
話せるときがある、そんとき振り返るか、見過ごすか。
俺も、おばあちゃんと二人のおじいちゃんを喪った。
おばあちゃんは約10年寝たきりだった。
最初入院したのは、俺が留学する前。
入院聞いたときは信じられなくてさ、
でも、こんな時代だから治るよって家族はいってた。
だからさ、大して心配しなかったんだよね。
でもさ、病院ついたらさ、奥のほうに行くのよ。
どこまでいくんだろうっていくとさ、
ドアが何重にもあって、
『これきてください。』って看護婦さんに言われて・・・
白衣みたいなの着るてさ、奥にいるとさ、
おばあちゃんがいるんだよね?
ビニルのカーテン越しに・・・
こっからじゃ届かないんだよ。触れられないんだよ。
この日がはじまりだった。おばあちゃんの闘病生活。
このあとさ、弟がおばあちゃんの姿見て
わんわん、泣いてたの。
あのときの姿って忘れられない。
俺はさ、長男だからさ、そういうときって毅然な態度
とるのがいいと思ってさ。
どうして、素直にならなかったんだろう
それからはさ、事あるごとに病院に行ったよ。
留学行く直前にさ、お見舞いにいった。
どうしてもさ、おばあちゃんにはあいたくってさ。
そんときはさ、おばあちゃん、おれのこと覚えていてくれたんだ
よね。
「おー、元気だった?」
「うん、おばあちゃんも元気そうだね。俺さ、明日アメリカに行くんだ。だからさ、おばあちゃんとはさ、1年会えなくなるんだよね。ごめんね。だからさ、いってきますっていいたかったんだ。」
「ふーん、そうか。気をつけてね」
もうこのときはさ、おばあちゃんコトバも聞き取りずらいし、
俺のいっていること半分わかってたのかどうか。
そんとき、一緒に写真とったんだ。おばあちゃんと。
もう、指もさ、ピースっていってるのに、指が曲がらなかったん
だ・・・
でも、一生懸命笑顔作ってくれて。
おばあちゃんとさ、合言葉があってさ。
『おばあちゃん、また来るからね!』
『また、来てください!』
なんどとなくこの会話をしたんだよね。
そして、留学から帰ってきて、迷わずおばあちゃんに会いにいっ
た。
そしたらさ、おばあちゃん1年の間に言葉数が少なくなって
いるんだよね。周りはさ、そんあことないけどねぇ。っていうけ
ど、離れているとわかってしまうこともさ、あるのであってさ。
それから、約8年、おばあちゃんはいつも病院のベッドにいまし
た。
おばあちゃんに最後にしてあげられなかったこと。
死に目に会えなかったこと
今、天国でなにしてるんだろう?
おじいちゃんと仲良くしてるのかな?
実家に帰ったらさ、まずするのは仏壇に線香あげること。
神様は信じないけど、仏様は信じます。
だって、そこにおじいちゃんもおじいちゃんもおばあちゃんもい
るから・・・
また、実家に帰ったらよろしくね!
そうだ、電話をしよう、家族に。
5人にもかけられる
俺は幸せものだ。
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