初めての心地よさ 1
2003年10月7日 恋愛今日は初めてのことを思い出したので
書き記してみようと思う。
あれは高校生2年の夏。
私は留学を1年間しており、帰国してきたのは
6月下旬。
その一年間は私にとっては苦痛であり、そして充実した1年であった。
そのとき得たことも得た友達も自分の人生に大きく影響を与えたものだ。
自分と同じプログラムで行った日本人が25人、うち男は5人、
ハーレムだと思いつつそんなことはいっさいない。
なんどか誘われる機会はあったが。
外国人からなんてとっても。
私は典型的な日本人だったようだ。
でも、そのときであった友達は
一年間勇気付けられた。
それぞれ手紙でやり取りし
たまには電話しあい、あのときほど
日本語の心地よさを痛切に感じたことはない。
アメリカ人はストレートであるとよく言われる。
それは単に婉曲表現ができないだけであり、
できないことを見せるのではなく
出来ない人を否定しようとする。
そして、自分達こそナンバー1とみなし
振舞う。つまり人と人との『潤滑油』
てきな存在が貴重がられるのはいうまでもない。
外国人と出会わなかった理由は
こんな感じである。
2度ほど挑戦したが。
そのときの話はまた別の時に思い出そうと思う。
日本に帰ってきた6月下旬。みんなで日本で会おう
と約束し合い、ナリタにおりたったのを覚えている。
それから、私の夏の心地よい風が吹き始めた。
ある日……
家の電話がなった。
S子からだった。
S「元気?」
私「おう、元気だよ、久しぶりだね」
S「アメリカはどうだった?」
私「日本の方が暑いよ、カナダはどうだった?」
彼女はカナダに留学していた。
私の留学先と近くだったのでよく
連絡をとりあっていた。
ちなみに私の留学先は
アラスカである。
と、お互いの報告とみんなの近況報告も
おりまぜながら。かれこれ1時間。
私「今度みんなとあいたいねぇ。」
S「…」
S「…そうだね、とりあえずうちらであおうっか?」
Sと私は近い県に住んでいたため
そのせいで気持ちはかなり近かった。
留学中でも手紙のやり取りは
週1もしくは週2でやり取りしあっていた。
私は気分アメリカイズムで有頂天であったが
もともとはちょっぴりまじめさん。
金銭的な余裕もぜんぜんないから
渋っていると、
S 「私がそっちにいくよ」
書き記してみようと思う。
あれは高校生2年の夏。
私は留学を1年間しており、帰国してきたのは
6月下旬。
その一年間は私にとっては苦痛であり、そして充実した1年であった。
そのとき得たことも得た友達も自分の人生に大きく影響を与えたものだ。
自分と同じプログラムで行った日本人が25人、うち男は5人、
ハーレムだと思いつつそんなことはいっさいない。
なんどか誘われる機会はあったが。
外国人からなんてとっても。
私は典型的な日本人だったようだ。
でも、そのときであった友達は
一年間勇気付けられた。
それぞれ手紙でやり取りし
たまには電話しあい、あのときほど
日本語の心地よさを痛切に感じたことはない。
アメリカ人はストレートであるとよく言われる。
それは単に婉曲表現ができないだけであり、
できないことを見せるのではなく
出来ない人を否定しようとする。
そして、自分達こそナンバー1とみなし
振舞う。つまり人と人との『潤滑油』
てきな存在が貴重がられるのはいうまでもない。
外国人と出会わなかった理由は
こんな感じである。
2度ほど挑戦したが。
そのときの話はまた別の時に思い出そうと思う。
日本に帰ってきた6月下旬。みんなで日本で会おう
と約束し合い、ナリタにおりたったのを覚えている。
それから、私の夏の心地よい風が吹き始めた。
ある日……
家の電話がなった。
S子からだった。
S「元気?」
私「おう、元気だよ、久しぶりだね」
S「アメリカはどうだった?」
私「日本の方が暑いよ、カナダはどうだった?」
彼女はカナダに留学していた。
私の留学先と近くだったのでよく
連絡をとりあっていた。
ちなみに私の留学先は
アラスカである。
と、お互いの報告とみんなの近況報告も
おりまぜながら。かれこれ1時間。
私「今度みんなとあいたいねぇ。」
S「…」
S「…そうだね、とりあえずうちらであおうっか?」
Sと私は近い県に住んでいたため
そのせいで気持ちはかなり近かった。
留学中でも手紙のやり取りは
週1もしくは週2でやり取りしあっていた。
私は気分アメリカイズムで有頂天であったが
もともとはちょっぴりまじめさん。
金銭的な余裕もぜんぜんないから
渋っていると、
S 「私がそっちにいくよ」
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